世界無形文化遺産のバティック
こんにちは、管理人のマーです。
新学期が始まりましたね、本当に時間の経つのは早いものですね。
新入社員や進級して新しい環境になったみなさん
がんばってくださいね。
それでは本日もインドネシアの良い所を伝えていこうと思います。バティックとは、ろうけつ染めをした布地のことなのです。(ろうけつ染めとは模様部分を蝋で防染し染色する伝統的な染色法)
私もジョクジャカルタのクラトンで見たことがあるのですが少しずつ細いペンの様なものでろうをとって絵を描くように作業されていました。
インドネシアの友人に贈り物をするならバティックは喜ばれると思います。
ここでバティックの歴史を紹介していこうと思います。バティックの起源は古代ヒンドゥ・ジャワ王国にありました、王族や一部の貴族だけが着用が認められていたそうです。そのためバティックの紋様は王宮の象徴になりました。その後、一般家庭にも作り方が浸透していきました。
19世紀頃、ヨーロッパでバティックは流行しました。そこから、オランダ統治下のインドネシアでバティックの産業化が始まるのです。
バティックの産業はオランダ人女性がおもに取り仕切っていました。そんな中でヨーロッパの紋様が多く取り入れられました。それらは好評になりました、そうゆう訳でバティックは家庭用の製品から商業用の製品に変わって行ったのです。
第2次世界大戦時、統治国がオランダから日本が統治する事になります。そこで扇子や富士山など日本を意識したバティックが作られる事になりました。
第2次世界大戦終結後インドネシアはオランダや日本からの独立を果たしました。初代インドネシア大統領スカルノは、ナショナルアイデンティティ形成を目的として新しいバティックを作ることにします。
このバティックは独立の象徴である、という事ですね。ここから本当の意味でのオリジナルのバティックが発展していきます。
これはバティックインドネシアとなり今ではバティック創作の基礎となっているのです。
どうでしょうか?ここまで見てきますとバティックとインドネシアの関係にはとても深い繋がりがあるのがお分かりいただけるかと思います。
そんな歴史と伝統技術の融合した工芸品のバティック。
お値段は私が見たものでは日本円で5000円くらいのものでしたが、肌触りもよく暑い日に着ると良いと思います。
インドネシア バティック の紹介でした。